日本語TOPタツ青木が語る時>大量生産のおそばは均等の幅であり、手打ちにはむらがある

大量生産のおそばは均等の幅であり、
手打ちにはむらがある−1

青木達幸

僕は「芸人」の家で育ったので小さいころから音楽を嗜み、また父が映画人であったため映画もよく見て育ちました。芸術に目覚めてからは音楽と共に「実験映画」、「映像」の世界に君臨するようになり、アメリカで実験映画活動を続けていました。
日本では僕は音楽家としてより映像関係の人として知られているのではないでしょうか・・・音楽は映像と平行してやってきましたが、ある事件により84年ぐらいから自分の表現を画像より音主流として考えていくようになりました。

この頃からニューミュージック系のバンド活動を中止して、ひたすらアンダーグランドな世界を追求するようになりアングラ王としての定評を高めてまいりました。今日に至っては、エクスペリメンタルな作品、パフォーマンス系のものからややメインストリーム系のジャズなどの活動も手がけるようになりました。大人になったのですかね…というより、ジャンル別にものを考えるのをやめたとうことではないでしょうか。どんなスタイルにせよ、「芸術」はひとつなのですから。

そうそう、何故ソロなのか、何故ライブなのか、何故インプロヴィゼーションなのか・・・などについてもすこしお話をしなくてはいけません。では、はじめに「インプロヴィゼーション」という形式の表現のことについて少し語ってみましょう。

インプロヴィゼーションとは俗にいう即興演奏のことなのですが、一般的に間違いやすいのは、即興演奏が「目茶苦茶」ではないかと思ってしまうことです。インプロヴィゼーションは、ジャズやブルースの世界でも基本的な要素として成り立っていますが、その場合にはあるフォームをベースにしてその中で即興演奏を取り入れるという方法をとっています。

ここで言う「フォーム」というのはコード進行、小節構造、音階公約などの、曲構成のあらかじめ設定されたガイドラインのことです。ジャズやブルースで行われるインプロヴィゼーションはこういったある制約の中で行われることが常で、インプロヴィゼーションの美学はその枠のなかで追求されます。インドのラガや韓国の伝統音楽、そしてバロック音楽などでもこういう形でインプロヴィゼーションの美学が追求されています。

続き: その2


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