日本語TOPタツ青木が語る時>大量生産のおそばは均等の幅であり、手打ちにはむらがある

大量生産のおそばは均等の幅であり、
手打ちにはむらがある−2

フリースタイルの音楽では、あらかじめ設定されたルールをもたずに即興でフォームを形成して、インプロヴィゼーションを行います。つまり、音楽的なフォームの設定を先におこなわずに、表現したい概念だけを基本にして音を出し始め、その進行と同時にあるフォームを形成するという作業をするのです。ソロであれば一人で、グループであれば複数で概念の構築を行います。皆さんも友人と会うときに、あらかじめ会話の内容を決めないで出かけて、会ってからいろいろな話をするということがあると思います。

また、時にはあらかじめ主立ったフォームを設定してからインプロヴィゼーションをはじめて、その進行状況によって内容を変化させていくとう方法もあります。こうして表現された音と概念は結果的には「フォーム」を利用して表現されるので、「目茶苦茶」ではないということです。ただ形式を利用する順番が、偶発的であるということです。もし、「目茶苦茶」に聞こえるとすれば、それはおそらくアーチストの説得力がないということです。

ポストモダニズムまたはそれ以降の芸術の問題点は、アーチスト自身が「表現の自由」というアイデアを乱用して、明確なコンセプトもないまま、自分の好きなことを勝手にやってそれらを「作品」と呼んでしまうということにあります。

コンセプトのない表現は、とみに意義主張の必要性を持たないので、突き詰めてみると「伝達」をするという芸術本来の目的なくしておこなわれるので、あってなくてもいい・・・どうでもいい世界になってしまうのです。内容のない情報はなくてもいいということです。

反対にコンセプトのある表現は、説得力をもつ可能性があるので、強い作品は成功することもあるということです。「成功することもある」という言い方をするのは、しないときもあるからです。正しいコンセプトをもって、表現に挑むときはいい作品が生まれる可能性が高い・・・ということです。アーチストはその可能性を信じて、一作、一作に真剣に挑むことをしなくてはいけません。しかしそれがいつも成功するとは限らないのであります。

但し、ある一定のレベルにはいつも到達している・・・というのもアーチストであることの証であります。僕はいつも各作品のなかで、その時点の自分のできる限りのチャレンジをすることをモットーにしています。

続き: その3


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