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BASSER LIVE (99)

BASSER LIVE I (99)

山本:  93年、97年にそれぞれ発表された前の2枚は、 青木さんが大きく注目を集める以前のものでした。 今回は、青木さんの活動が大きく広がっていった頃のライブ盤です。

青木さん自身が気に入っているというアルバムの中に「BASSER LIVE」がありました。 シカゴ近代美術館(MCA)での公演/録音ということもあって、思い出深いものだと思います。

青木:  「BASSER LIVE」の時期はひとつの転換期です。
フリージャズ系のことをたくさん やって、それからソロベースの世界にもどってみようと考えた作品です。

山本:  その前のソロライブ盤、 「Live at Blue Rider Theater」 (97)の録音の頃って観客は数える位でした。 「BASSER LIVE」は約2年後の1998年 5月30日の公演だというのに、 シカゴ近代美術館のホールが満員になりました。 それだけの変化が青木さん自身にもあったわけですよね。

アルバムだと「FIRE with VON FREEMAN」、「FRED」(w/ Fred Anderson, Afifi Phillard) 、 「POWER TRIO」 (w/ Mwata Bowden, Afifi Phillard) など シカゴのフリージャズの大物との競演も次々に実現して、充実していた時期でもあったように思います。

青木:  コンサートをアングラアート系の場所から離れて、 もう少し一般的なところでやってみたいと思って近代美術館でやってみることにしたのです。 実際には近美のキュレーターのビーターさんが「Blue Rider Theater」のコンサートを 見にきていて、それがきっかけとなりました。

山本:  ブルーライダーは観客数こそ少なかったけれど、あそこには MCAのキュレーターの方だけでなく、その後の青木さんのキーになる人が来てました。 確か、カナダ、モントリオール?のジャズフェスの主催者の人とか、 批評家の人とか?ちがいましたっけ?
観る人の多さに関係なく熱演する青木さんに魅せられた人が多かったのでは? またそいういうのを見極める人がちゃんとそこに居たっていうのも、 シカゴも面白いところだと、あの時は思いました。

青木:  そして、この「BASSER LIVE」のコンサートの後から、 アジアンジャズフェスとかが近美に出現するようになったのです。

山本:  当時って、アジアンアメリカン・ジャズフェスティバルを始めたり、 日本の実験音楽の人達をシカゴに連れて来たりと、 演奏以外の活動の幅も広がっていきましたね。 そうした中で、MCAの公演で何を観客に見せたかったですか?目指したものというか。

青木:  ライブ に太鼓を使って90年初期のコンセプトを再復活させた試みでしたね。
なかなか気に入った太鼓プレーヤーがいなくて困ってました。 とにかくシカゴの太鼓文化というものがあまりにも幼稚なことにムッとしていた時期です。 日本人、日系人が結構多いところなのにレベルが低くてがっかりしたのを覚えています。 とり あえず当時一番上手だった人を使って頑張りました。 韓国の太鼓も使ってみたりして、 これが後に「MIYUMI PROJECT」のコンセプトになりました。


続き: その3


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